56名無しさん@HOME 2015/05/09(土) 15:21:24.17 ID:xlE2gP0fS
自分の経験した修羅場を少しづつ書いてみようと思う。
あの時は、多分、僕の性格からか、あまり修羅場という意識が薄かったんだが。

妻と別れて5年経過した。そして、今また転機が訪れたようだ。
妻の父親は事業家だった。若い頃に起業し、それが成功した。
結局、それが別れる原因になったのだが。。。


57
名無しさん@HOME 2015/05/09(土) 15:51:10.25 ID:xlE2gP0fS
毎度のことだが会社の仮眠室で目が覚めた。
遅くまで仕事をした時、仮眠室を利用するが多い。ここしばらくは毎日のように泊まっていた。
朝食をとりに食堂に行くと、やはり仮眠室を利用した他部署の先輩が食事しながら新聞を読んでいた。
その先輩が僕を見て、君の元奥さんの親父さんは何とか商事の社長じゃなかったか?と聞いた。
そうだと答えると、昨日、脳梗塞で亡くなったと報道されているという。
驚いて新聞を覗くと、その記事が小さく掲載されていた。通夜は明日、告別式は明後日だという。
食事をしながら、どうするか思案した。
妻とは義父の意向によって離婚したのだが、自分の能力不足が原因だから恨みには思っていない。
通夜は行きたくないが告別式には参列したいと思った。
元妻に会いたい感情が湧き出てきた。

58名無しさん@HOME 2015/05/10(日) 12:55:16.76 ID:44gAGusbV
妻と知り合ったのは、大学のテニス同好会だった。
妻は美人と言うより可愛いタイプで誰からも好かれていた。育ちの良いお嬢様タイプだった。
僕は、彼女が好きだったが告白する勇気がなかった。
仲間達はみな彼女の噂をしていたし、自分の出番はないと思っていた。だからいつも遠くから眺めていた。
彼女との関係が進んだのは、僕が4年になって夏の合宿の時だった。
自分の性格にいささかうんざりもしていたし、恥をかいても良いと自分に言い聞かせた。当たって砕けろと。
夜、連れ出して気持ちを打ち明けたところ、いつ言ってくれるか待っていたと。冗談かと思った。

59名無しさん@HOME 2015/05/10(日) 14:56:10.14 ID:44gAGusbV
それから5年後、紆余曲折はあったが僕達は結婚した。

初めて彼女の両親に紹介された時、父親が養子に来ないかという。後継者がいないらしい。
一人娘だし、自分の事業を継いでもらいたいからだと。その時は軽い打診だった。
僕は事前に彼女からその意向は聞いていたし、義父も僕が事業に関心がないことを知っていたと思う。
養子の話は答えるまでもなく、冗談のように終わった。
僕は、研究者の道を歩むつもりだったから、義父との会話はその方面に終始したことを覚えている。

娘の婿が後継者になれるほど経営は簡単ではないし、
先のことだから何とでもなると考えていたのだろう。
その頃、義父は60才に近かったと思う。

60名無しさん@HOME 2015/05/10(日) 22:00:11.77 ID:44gAGusbV
数年後、義父の会社は株式公開を果たした。上場したのだ。義父、65才頃だった。
記念の披露パーティでは、義父は満面笑みをたたえて挨拶をした姿を思い出す。まさしく絶頂期だった。

それからしばらくして、義父は、軽い脳梗塞で倒れた。
救急車で運ばれたが、症状は軽く後遺症も残らなかった。しかし、これが問題の始まりだった。

61名無しさん@HOME 2015/05/10(日) 22:00:49.34 ID:44gAGusbV
妻の話では、僕達が結婚する前に、義父の兄が脳梗塞で亡くなったとのこと。
この兄は、公務員だった。また、義父と違って常識的な人だったようだ。
会社経営は経験無かったが、持ち前の知識と世間一般の常識で義父を影ながら支援したという。
義父もこの兄のアドバイスにはよく従ったと言われている。
会社が発展したのは、この兄の功績が大きかったとも言われている。
同じ血筋だから義父の不安も募ったのではないか。

63名無しさん@HOME 2015/05/12(火) 16:36:20.29 ID:nXhUr7W0+
以降、義父は自分の健康を不安視し後継者問題が再燃した。前回と違って今度は執拗だった。
自分一代で築いた事業を娘に残したい気持ちは、多分、誰もが理解できるだろう。
それを娘婿に期待したいと言うのだ。
普通の男ならその依頼に乗るかも知れないが、僕には自信がなかった。
後継者は会社の中にいるでしょうと言うと、会社は人材不足の上、まだ経営が安定していないので、
一族の中から後継者を出すのが、会社として最も落ち着くというのだ。

64名無しさん@HOME 2015/05/12(火) 16:37:59.86 ID:nXhUr7W0+
僕は、根が内向的だから経営には向かないというと、経営者には様々なタイプがいる。
大事なのは他人の話に耳を傾けられるか。更に、自分の考えを推し進める意思があるかどうかだ。
しかし、僕はコツコツ進める研究の方が身に合っていたし、会社経営に全く自信が持てず何回もお断りした。
義母は義父の押さえにはならず、せめてお兄さんがいてくれたらと嘆いていた。
お兄さんとは、義父の亡くなった兄のことだ。

65名無しさん@HOME 2015/05/13(水) 10:08:19.65 ID:xR+pEBVt1
妻は、後継者になりたくない僕と養子縁組を迫る義父の板ばさみ状態に陥った。
僕達は子供に恵まれなかった。結局、それが災いしたのか、最後は義父の意向で離婚話に発展したのだ。
つまり、一人娘を離婚させ、自分のメガネに適った男と再婚させる。これが義父の強い意向となったのだ。
誰も義父には逆らえない。妻は悩みながら、義父をなだめるためにと言って実家に帰って行った。
これが別居生活の始まりだった。

別居しながら、僕に時間に余裕がある時は妻と食事したり、マンションに一緒に帰ったりした。
だから、離婚について深く考えることは無かった。
そんな或る日、義父の会社に呼び出され離婚話が切り出された。
妻も同意したので2人で話して欲しいという。
先月、妻と会った時は、何とか義父を説得すると言っていたので唖然とした。言葉も無かった。

66名無しさん@HOME 2015/05/13(水) 10:10:50.47 ID:xR+pEBVt1
誰も義父の強い個性には勝てない。果たして僕に選択の余地はあっただろうか?
離婚しないという判断は、妻に父を捨てさせることになる。
妻は泣いていた。父の仕事の進め方はいつも強引だったという。妻も、せめて叔父さんがいたらという。
自分に自由はない。我を張れば父はストレスのあまりまた倒れかねないくらい気が立っている。

僕は暗澹たる気持ちだった。僕の存在が完全に否定されたのだ。
君を愛している。別れたくないと言えば、ようやく離婚を決心した妻が窮地に陥るだけだ。
話し合うことがあるはずなのに、お互いを傷つけないように2人の会話は弾まなかった。
しかし、2人とも心底納得したわけではない。しかし、義父にこれ以上の反抗も出来ない。

そして離婚した。慰謝料を払うと言う提案もあったが、僕が断った。
この時、結婚して5年。妻は32才くらいだった。

67名無しさん@HOME 2015/05/13(水) 10:11:59.35 ID:xR+pEBVt1
それから1年後くらいだったか、
妻と共通の友人から、妻が再婚したと聞かされた。僕は、ついに妻は遠い存在になったと感じた。
寂寥感と言うのか、後悔と反省が入り混じった不思議な感情だった。
後継者になる道はなかったのかと考えたりもしたが、自分の性格を考えると
やはり自分には難しいと思わざるを得なかった。

68名無しさん@HOME 2015/05/13(水) 12:35:49.61 ID:xR+pEBVt1
義父が亡くなったのは、妻が再婚してから3年は経っていたはず。義父はまだ70才前だったと思う。

僕は告別式に出かけた。僕の本心は別れた妻を一目見たいとの思いからだった。
義父の葬儀は、有名なお寺での社葬だった。会葬者が長い行列を作っていた。
義母の横に座った妻が、黒の紋付を着て会葬者に目礼を送っていたのが遠くから見えた。
亭主が横にいるはずなのに見当たらないことに、その時は疑問すら感じなかった。
祭壇でのお焼香の際、目が合った。一瞬、驚きの表情を浮かべた後、頭を垂れたが
僕がお焼香を済ませて親族席に目をやると、妻はまじまじと僕を見ていた。

69名無しさん@HOME 2015/05/13(水) 12:37:37.26 ID:xR+pEBVt1
それから1ヶ月ぐらいして、妻から会葬のお礼をしたいとのメールが入った。
まだ僕のアドレスを持っていたのだ。
妻は、少しやつれていて、可愛いさは失ったが、しっとりとした美しさが増していた。30代後半。
別れて4年は経っていた。お互いにお互いの表情を探るように見合ったと思う。
妻は、自分が再婚し、また離婚したことは知っていたかと聞いた。
驚いた。知らなかったと言うと、左手を出して僕に見せた。そこには指輪がなかった。

70名無しさん@HOME 2015/05/13(水) 12:40:34.48 ID:xR+pEBVt1
妻の話によると、再婚相手は営業担当の取締役として入社したとのこと。
誰も次期社長と認識していた。
しかし、少し仕事に慣れた頃、立場にものを言わせて強圧的な面が出始めた。
営業に関しての社員との打ち合わせなどの時、方針に関して口論になることも多かったという。
ある時、口論が過ぎて、非常識にも取っ組み合いにまで発展したことがあったという。
その後、優秀な社員ほど敬遠し始め、ついには退社に至るケースが出始めた。

71名無しさん@HOME 2015/05/13(水) 12:43:41.95 ID:xR+pEBVt1
こうなると義父も放置できず、多分、多額の慰謝料を払ったのだろう。強引に再び離縁した。
もう妻の立場もあったものではない。
義父は妻に対して、会社のために無理をした結果がこれだと言い、頭を垂れて謝ったという。
あんな弱々しい父を見たのは初めだったと妻は言う。
その際、義父は僕のことをたずねた。どうしてるのか?
どういう意味かと妻が聞くと、いや、深い意味はない、と答えたらしい。

それで後継者問題はと聞くと、離婚を期に義父は或るファンドに持ち株を売る準備に入った。
つまり、一代で築いた会社を売ることにしたのだ。次期社長はファンドが連れてくるとのこと。

72名無しさん@HOME 2015/05/13(水) 12:51:12.32 ID:xR+pEBVt1
父の情に負けて貴方と別れ、ここ数年、私は幸せではなかった。いつも気持ちが落ち込んでいた。
だから再婚してもうまく行かなかった。相手にも迷惑をかけたと思う。
あなたはどうだったかと聞く。
僕が不甲斐ないばかりに義父の要求に応じられなかったことを許して欲しいと思っていた。
再婚する相手もいなかった。いつも君の動静が気になっていた。
君を恨んだことは一度も無いし、本心から幸せであって欲しいと願っていたが、気持ちは複雑だった。


別れ際に妻は、これからも会って欲しいとすがるように言った。初めて見せた本心だった。
もう一度、もう一度チャンスが欲しい。そして許して欲しいと。
僕は、この数年間で初めて気持ちが落ち着くのを感じていた。そして、長い回り道だったと思った。

以上、修羅場とは言えない話を終わります。


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